三福寺について

三福寺について

九品山 稲荷院 三福寺 開創:延徳二年(1490年)から522年
三福寺は、当地の豪家長塚佐四郎義信氏の菩提所として、現在地より南東約二百メートルの長塚家の領地であった稲荷山(字稲荷)に草創されたと伝えられています。
(享保五年にこの地より、明応六年九月二日 三福寺開山歓誉冏公上人銘の板碑が出土し現存しています。)
草創のちに、歴代の諸上人によって諸堂宇が整備され、寺の基盤が築かれましたが、天正年中に、戦国の兵火に罹り堂宇ことごとく焼失し、慶長年中に寺地を稲荷山から現在地に移し、当寺の源霊上人が中興開山となり、現在の三福寺の基礎を確立されたと伝えられています。
当寺の院号が稲荷院と称するについては明確ではないが、当寺坂手三福寺の記名のある阿弥陀如来立像(茨城県文化財指定)が、茨城県笠間市の某寺に安置されています。
そのいきさつは不明であるが、当寺開基の長塚家が笠間稲荷神社の大篤信者であったと云うことから、何らかの関係が持たれたのではないかと考えられています。
現在も当寺には鎮守神として、胡桃下の稲荷大神(笠間稲荷神社)の護符と御神像が大切に祀られています。お迎えされたのはいつ頃か不明です。
よって、年中行事には浄土宗の宗定法要数種のほかに、稲荷大神の初午祭も行っています。
ほかに、渡海観音信仰の熊野三社大権現や三宝大荒神も祀られています。
また、ご供養については故人が生前、愛した歌や、得意とした芸など、一番故人を偲べることを取り入れた供養も行っております。
自然に囲まれた三福寺の東には鬼怒川が流れ、北にはつくば山を眺めることが出来、さらにお寺への道々はのどかな緑が広がり、小鳥のさえずり、虫の声、木の葉を揺るがす風の音など四季折々の姿が楽しめます。
どなたにも気軽にお参りいただいております。

住職紹介

こんにちは。私、浄土宗元祖法然上人の御教え「南無阿弥陀仏」のお念仏のもとに、三福寺の第三十世として法灯を継いで、多くの方々とご縁を持たせて頂き、早45年になりました。
この間、数え切れないほどの多くの人々と出会い、数え切れないほどの様々な事柄に遭遇して観えたのは、多くの仏教宗派や、また多くの宗教を通して、お念仏は共通した心の表現です。
人はこの世に生を享けて、共に生かされ、共に生きて、そして子孫に伝える大切な務めがあります。その多くの皆様方へのお手伝いの一端として、提供を発願いたしましたのが「谷和原御廟(三福寺墓地)」です。
数十年前は緑と木々に覆われた小高い丘でありました寺領、522年前に当三福寺が草創されたと伝えられている聖地を活用させて頂きました。
人生は険しく厳しい谷もあります。また、穏やかな平原もありましょう。そのような生涯の後には暖かい「和やか」でありたい、このような思いから谷和原御廟の呼称が生まれました。様々な環境や家庭の中で、生かされていることを感じ、懸命に生きることに感謝の念をもって、生涯を送られた方々に、私からささやかなご褒美としまして、ゆっくりお休み頂くことを願って、心安らぐ墓所を「安心の館(あんしんのやかた)」と呼んで、宗派や宗教を超越して、ご縁のある方々が気軽に語り合える会所(場)にしたいと、スタッフと共に日々務めております。
特に近未来に訪れると懸念されている「無縁社会」に応えるべく、宗派や宗教を問わないで、広く貢献させて頂く態勢も整えてございます。
私は、ご参拝頂いた何方にも”ホッ”と息抜きをして頂ける暖かい寺院づくりを目指しています。

どうぞ、ご参拝を心よりお待ち申し上げます。  合掌